なかまの声では、個人の考えや想いを尊重し、インタビューを元にそのまま掲載しています。
リンネットが特定の治療法や物品を推奨するものではありません。
ご自身の治療は、主治医や医療者とよく相談して決めるようにしてください。
乳房を失ったことが何より辛かったというKumiさん。失意のなか「自分を癒す」方法を追い求め、ジムでの運動で心と体の元気を回復。リンパ浮腫になっても運動を続け、挑戦し続ける姿が素敵です。
Kumi(フラワーアレンジメント教室主宰)
[上肢リンパ浮腫]
神奈川県在住。
2012年44歳で右乳房の乳がんと診断。ステージⅢ。3か月の術前抗がん剤後、2013年右乳房全摘術・リンパ節郭清。3か月の術後抗癌剤、放射線治療後ホルモン療法を10年の予定で開始。
2018年右腕に重みや腫れを感じ、リンパ浮腫外来を受診。2018年と2020年の2回、LVA(リンパ管静脈吻合)手術を受ける。
たとえうまくいかなくても、しなやかに、軽やかに「次の何か」へ「何度でも」
乳がんが発覚した経緯を教えてください。
乳がんと診断される2年前から、乳頭に黒い液が染み出る自覚症状がありましたので、毎年受けている健康診断の乳がん検診(マンモグラフィーとエコー)時に申告しましたが、結果は「心配ありません」ということでした。
念のため、当時住んでいた北陸の乳腺クリニックを受診し、針生検による精密検査も受けたのですが、ここでも検査結果は「異常なし」。
ところが2年後、同じクリニックを受診し、浸潤がん、リンパ節転移のあるステージⅢと診断されました。
自覚症状を訴え、検診と検査の二本立てで調べてもスルーされたことに愕然とし、正直、2年前の「異常なし」は誤診だったと恨みました。
乳がんよりも乳房を失うことのほうがずっとツラい現実でした
念には念をと調べたにもかかわらず、診断が遅れたことは簡単には受け入れられませんね
もっと早く見つかっていたら、という気持ちは今もぬぐえません。
私には乳がんそのものよりも、あって当然の乳房を失うことのほうがずっと受け入れがたいことでした。
「なんとか温存できないか」「全摘ならば乳房再建をしたい」との思いで3か所の病院を巡って相談しましたが、進行ステージと放射線治療のリスクから、いずれも「乳房は全摘出。乳房再建はしないほうがいい」という判断でした。
それでも4か所目にやっと「乳房再建が可能」という病院を探しあてたのですが…。
術前抗がん剤が始まる前日、母から「再建よりも、命を優先した治療を受けてほしい」と懇願され、急遽、病院の予約をキャンセルすることになりました。
その後、乳がん治療で実績のある病院に移り、改めて精密検査を受けたところ、私の乳がんはしこりにならず広がるタイプで、病巣の範囲は8センチ、がんは乳頭まで広がっていました。やはり乳房は全摘出になるでしょうとのことでした。
Kumiさんにとって乳房を失うことが何よりもツラかったのですね
術前抗がん剤を終え、いよいよ手術という前日、医師から改めて術式は全摘出と聞かされ、再建の道も途絶えた私は本当に悲しくて、ひと晩泣きはらしました。
たくさん泣いた翌日は不思議とすっきりした気持ちで手術に臨めましたが、術後は「私の人生は終わってしまった」と、自分では抱えきれないほどの喪失感にさいなまれる日々の始まりでした。
がん治療は順調でも、「頑張るぞ!」という前向きな気持ちには一切なれず、毎晩、家族が寝静まった夜中の2時ごろに泣き、長い長いメールを友人に送ったりしていましたね。
心が回復するまでに3~4年かかったと思います。
心がどうにも回復しないなか、ジムを再開されたそうですね
鬱々とした日々でしたが、治療がひと段落したのを機に趣味のジム通いを再開しました。からだを動かしたいというほかに、これから10年間続くホルモン療法のアリミデックスは骨粗しょう症のリスクが高いと知ったことも、再開の大きな理由でした。
整形外科の医師から、丈夫な骨を維持するために、かかとに刺激を与えるウォーキングなどが有効と伺い、ジムのさまざまなプログラム参加に熱が入りました。
ジムで胸を隠してコソコソ着替えたり、堂々と入浴できないことは大きなストレスでしたが、上手にやり過ごす方法を編み出し、徐々に落ち着いて行動できるようになりました。
失意のなか「自分を癒す」方法を追い求めた4年間
ほかにも乳がんを機に、マラソンや登山に挑戦し、スムージーや漢方内科で処方された漢方薬を毎朝煎じて飲み始め、心理カウンセラーの学校にも2年間通いました。
「そうしたほうが良い」と思いたったらすぐに動く性格で、この時期、自分の心と体を「癒す方法」を探るために、行動せずにはいられなかったのだと思います。
さまざまな挑戦を経てようやく落ち着いてきたころに、リンパ浮腫を発症したのですね
乳がんの手術から4年たった冬の日、右腕がとてもかゆく、かきむしって傷つけてしまったら、その日から腕に重みを感じ、腫れてしまって。
傷は癒えても症状が引かず、私はとっさに「蜂窩織炎(ほうかしきえん)」だと思いました。
以前、蜂窩織炎の赤く腫れた腕の画像を見たことがあり、当時の私は、リンパ浮腫=蜂窩織炎という誤った知識を持っていたのです。
そこで乳がんに詳しい友人に相談し、東京にある最先端のリンパ浮腫外来を受診したところ、診断は蜂窩織炎ではなく「リンパ浮腫の中等症」。リンパ浮腫の専門医から病態について詳しい説明があり、初めてリンパ浮腫は一生付き合っていくものだと知ったのです。
その後、乳がんの主治医に報告し、リンパ浮腫に関しては専門医にお任せするスタンスとなりました。
リンパ浮腫外来を受けた頃
リンパ浮腫が治らないと知り、どんな気持ちになりましたか?
私には乳房の喪失感が大きすぎて、それに比べたら「不便になるな」という感じでした。
医師から「画像診断で、LVA(リンパ管静脈吻合術)が適応だけれど手術を受けますか?」と提案があったときは「受けます」と即答していました。
症状を緩和する方法があるのであれば、しないという選択肢はありませんでした。
病院でリンパ浮腫のセルフケア指導を受け、朝は日中用、夜は就寝用の弾性スリーブを着け、ボディクリームで保湿し、月に一度リンパドレナージに通う生活が始まりました。
弾性包帯は、利き腕ではない左手で右腕に包帯を巻くのですが、不器用な私には続けられませんでした。
LVAを受けて、症状は変わりましたか?
かなり腫れていた腕も、術後は重さやむくみが軽減され楽になりました。もともと腕が細いので、見た目が戻ったことも嬉しかったですね。
ただ、LVAを受けた安心感と初夏の汗ばむ季節にスリーブが不快で、朝のスリーブを省略していたら、つぎの診察時には元に近い状態に戻ってしまって。
私の腕を見た温厚なリンパ浮腫の主治医は驚いて、「そんなことをしていたら手術をした意味がありませんよ」と厳しく注意されました。
それからは指導を守り、2回目のLVAを受けたところ症状が安定し、最近になって、「スリーブは午後からでもいいですよ」と言っていただきました。
自分でも今日は腕が重いな、太いなとわかるので、そういう日は朝からスリーブを着けるなど調整ができるようになりました。
リンパ浮腫はスリーブを正しく着けることが何よりも大切と実感
私はひじにリンパ液が溜まりやすいので、病院のセラピストさんから紹介していただいた弾性スリーブを、ひじの太さに合わせて色々試しました。製品によってはかぶれてしまうことが分かり、肌に合う素材で圧も弱めのものを使っています。
私の経験から、自分に合うスリーブを正しく選び、正しいタイミングで、正しく着けることが大切で、これらをクリアすることで、むくみが緩和されると感じています。
色は黒を使っています。ジムで片腕だけにスリーブをしているとファッションと思われたり、紫外線対策と思われたりしますね。
乳がんやリンパ浮腫の発症後、仕事はどうされていますか?
長年フラワーアレンジメントのほかに、パーチメントクラフトというペーパークラフトのお教室も主宰していて、毎月大阪、東京、金沢を移動する生活を続けていましたが、乳がんを機にお弟子さんたちに譲りました。
心の問題や長距離の移動、細かな手作業の負担もありましたが、何より乳がんのステージⅢは5生存率50%強と聞き、私は長く生きられないと思っていたのです。
100人くらい生徒さんがいた教室業は、規模を縮小して続けています。
フラワーアレンジメントのお教室は、下準備として生花の入った大きな長い箱を花市場から運び、水を張ったバケツで枝切りして水揚げを行うなど、作業が大変ですので、リンパ浮腫を発症してからは必ずスリーブと手袋を着けて行っています。
浮腫でハサミが持ちにくく、バラのとげを取る作業で腕や手を傷つけないよう細心の注意を払う必要などはありますが、お教室に集う皆さんが喜んでくださることに、この上ない生きがいを感じています。
リンパ浮腫の制限をいかに工夫して柔軟にできるか、私の体はその実験台
リンパ浮腫と共に生きる上で、モチベーションの保ち方をぜひ教えてください
リンパ浮腫になると、過度な運動はいけない、重いものは持ったらいけないなど、さまざまな行動制限がかかります。ただ、すべて守っていたら将来への希望を見失い、人生がもったいないと思うのです。
あきらめて落胆するネガティブな私がいる一方で、「そんなはずがあるものか!」とポジティブへ変換しようとする私もいて、いつしか「制限をいかに工夫して柔軟にできるか」という考えが芽生え、自分の体はそのための実験台だと考えるようになりました。
たとえばジムも、リンパ浮腫の主治医から助言を受け、筋トレやヨガで腕に負担のかかるポーズを避け、エアーボクシングもスリーブで腕を圧迫して行います。週4回のアクティブな運動も、リンパに悪影響がない動きを工夫することで続けることができています。
エビデンスは大切ですが、リンパ浮腫の制限を真面目に取り組み過ぎず、「本当にそうなのかな」と疑問を持ち、自分に合う方法を工夫することで「できることもあるんだよ」とお伝えしたいです。
たとえうまくいかなくても、良い意味であきらめて、「次の何か」へ「何度でも」軽やかに移ればいいのですから。
心の闇を抱えもがくなかで、しなやかで凛とした強さが育まれた
努力して順調に積み重ねてきたキャリアは、乳がんによって一変し、人生には「かなわないことがある」と遅まきながら知りました。
それまでの私は「こうあるべき」「こうするべき」という思いが強かったのですが、良い意味であきらめることを覚えてから、「この程度でもいい」と思えるようになり、以前より生きやすくなったように思います。
なにより、心の闇の中でもがきながら行動するうちに、木の枝が風に揺れてしなっては元に戻るようなしなやかさと、凛とした芯のようなものがはぐくまれたと感じています。
これまでを振り返り、この先の人生をどのように過ごしたいですか
乳がんの発症から10年たち、ジム活歴は25年以上になりました。
9年間飲み続けたアリミデックスもあと1年で終了ですが、心配していた骨粗しょう症は「運動や生活習慣で抑えられている」と医師たちからほめていただきました。
自分を癒すために始めた漢方をきっかけに食薬に興味を持ち、2019年から中医学の学校で学び、薬膳師の資格を取得しました。
今後は私のサロンで、マインドフルネスや食薬のワークショップなど、心の豊かさを提供できる事業へ移行していきたいと考えています。
挫折を味わったからこそ、今後何かあっても希望にむかって「しなやかに、軽やかに」挑戦を続けていけるのだと思います。
毎日、保湿クリームで腕をスキンケア。 日中用と就寝用の弾性スリーブを着用。 仕事や運動をするときは必ず着用する。 リンパ浮腫のセラピストから月に一度のドレナージを受ける。
(聞き手・山崎多賀子)