なかまの声では、個人の考えや想いを尊重し、インタビューを元にそのまま掲載しています。
リンネットが特定の治療法や物品を推奨するものではありません。
ご自身の治療は、主治医や医療者とよく相談して決めるようにしてください。

働き盛りの40代で「男性乳がん」と診断された後、局所再発、リンパ浮腫、遠隔転移、前立腺がんと、次々に襲い掛かる病と向き合ってきたHYさん。孤独と焦りと不安のなか、幾度も突き落とされては踏ん張り、気持ちを切り替え受け入れてきた、壮絶な31年間の経験を、清々しく、おだやかな笑顔で語ってくださいました。

HYさん
[上肢リンパ浮腫] 
76歳 男性乳がん
家族 妻 子供2人(独立)

1992年45歳のときに乳がんと診断。左胸を全摘出、左腋下リンパ節郭清。ホルモン療法。55歳に局所再発。64歳に局所再再発。66歳に左鎖骨上リンパ節と左肺へ遠隔転移発覚。治療により転移は縮小の後消失。
68歳に左腕にリンパ浮腫を発症。70歳で蜂窩織炎を発症。
75歳に前立腺がんと診断。左右前立腺を全摘出。

男性乳がんとともに31年、リンパ浮腫も抱えそれでも「人生で今が一番幸せ」です

HYさんは男性で、乳がん検診の対象ではありませんね。どのような経緯で乳がんが見つかったのでしょうか。

今から31年前、45歳のときに左の乳首から出血がありました。下着に付着した血液に気づいた妻から、病院へ行くように再三言われましたが、そのうち止まると高をくくっていて。仕事が忙しいことを理由にスルーしていましたが、妻に厳しく迫られ病院を受診したところ、乳がんと診断されました。
「え?この年でがん?」「それも乳がん?」。頭が真っ白とはこのことです。
がんもショックですがそれ以上に、乳がんというのが信じられず、二重のショックに打ちのめされました。
商社勤めで、海外赴任から帰国して1年。日本でも毎晩11時まで働き、休日は朝5時起きでゴルフに行くというハードな生活でしたから、この先、仕事や生活はどうなるのかという不安が大きくて。診断から手術までの3か月間は左胸がうずいて眠れない日々を過ごしました。

まさか男の自分が乳がんになるなんて

ご家族や会社にはどのように伝えましたか

妻は僕以上に驚いたと思いますが、僕があまりにも気落ちしていたからでしょうか、すぐに現実を受け入れ、内心の動揺を抑えて気丈に振舞っていましたね。当時小学生と中学生だった2人の娘には、退院後に話しました。これまで通り働くことを望んでいたので会社には、「乳がん」という病名はもちろん、「がん」とも言わず、手術で一時的に入院をするとだけ伝えました。

男性乳がんの全摘手術や治療はどのようなものですか?

男性は乳腺組織がほとんどないので、わずかな乳腺組織と一緒に、大胸筋をごっそり取ります。術後は皮膚のすぐ下にろっ骨がある感じで、乳輪乳頭も切除し、腋窩リンパ節郭清も行いました。
術後は、男性ホルモンにわずかに含まれる女性ホルモンを抑えるために、飲み薬によるホルモン療法を5年間。
主治医から、「術後は元の生活に戻っていいですよ」と言われていたので、すっかりその気になり「乳がんは終わった」と、以前と変わらない生活に戻りました。

初発から10年後に局所再発、さらに10年後に再再発

経過観察を続け、最初の手術から10年というときに、経過観察のエコー検査で乳がんの再発が見つかりました。次の海外駐在から帰国した翌年のことです。
一度目は、「手術をすれば治る」という軽い気持ちでいましたが、今度は「気をつけなければ」と思いました。どちらも心身に過酷な負担のかかる海外駐在から帰国した翌年に発症していましたから、「力を抜く」生活に変えなければとね。
それで意を決し、会社の限られた上司に「乳がん」を打ち明け、57歳で少しゆっくりできる部署に異動しました。

2度目の治療も追加切除の手術と、ホルモン療法をまた5年。
ただ、2年も経つと危機感が薄れてしまって。もう大丈夫だろうと勝手に判断して薬を飲むのをやめ、病院にも行かなくなっていました。

数年ぶりに病院を受診したのには理由があったのですか?

虫の知らせだったのでしょうね。再発から10年、64歳で仕事をリタイアしたのを機に久しぶりに病院へ行こうと思い立ち、受診したところ、左胸に再再発が見つかりました。
それまでの主治医が病院を退官するため、紹介された別の病院の主治医のもとで、残った組織を手術でふたたび切除。今度は放射線も当て、ホルモン療法も再開しました。

今度こそ本当にまずい、もう4度目は絶対に勘弁してほしいと心の底から願いました。

しかし仕事をリタイアされて2年目に、遠隔転移が見つかったのですね

そうです、左の鎖骨上リンパ節と肺への遠隔転移でした。
これまでの女性ホルモンを抑える飲み薬から、男性ホルモンを抑える「リュープリン」という注射に治療方針が変わりました。
リュープリンは前立腺がん治療によく使われる薬で、男性乳がんに使うことは珍しいと医師から説明がありましたが、僕のがんには良く効くようで、打ち始めてしばらくすると肺の転移の影が薄くなりました。数か月後にほぼ消失したと言われたときは、心底嬉しかったですね。

ただ、リュープリンには副作用が色々あって、最初の1年は35度台の低体温になり、夜は靴下を重ね履きにして寝るほど手足の「冷え」で悩まされました。ホットフラッシュは10年たった今も1日に2~3回。
とくに左腕を中心にべったり汗をかきます。筋肉量も体力もガクッと落ちたので、趣味のゴルフをやめ、今は妻と共に毎日のウォーキングと、週に一度の気功教室に通っています。副作用で骨粗しょう症になりやすいというのが怖いです。

副作用が辛くここ数年は、「そろそろリュープリンをやめたいんです」「薬をやめたら副作用はなくなるけれど、がんがまた悪さをするかもしれませんよ」(主治医)「じゃあ続けます」という会話を毎回診察室でしています(笑)

孤独と不安のなか、診察室に通い続けた

遠隔転移の影が消え安堵したところに、左腕にリンパ浮腫を発症

遠隔転移の2年後、左腕がだんだん太くなってきました。痛みはありません。診察時に医師に症状を伝えたところ、「リンパ浮腫」ということで、毎回診察後に専門の看護師さんが、自分で行うためのシンプルリンパドレナージ(以下、SLD)など、リンパ浮腫のケア方法を丁寧に指導してくれるようになりました。
これはとても心強かった。いただいた20ページ綴りの手作りの資料は、僕のリンパ浮腫の情報源になりました。

ただ、僕はリンパ浮腫を一過性のものだと思い込んでいて、早く治したい一心で毎日真面目にSLDをやっていたのです。ある日、リンパ浮腫は一生治らないと主治医から聞かされたときは、受け入れがたいほど大きなショックを受けました。
「これから一生、手間がかかって根気のいるSLDを続けなければならないなんて!」と。それで資料を読み直したら、「リンパドレナージで悪化は防げるが、完治はできない」とちゃんと書いてあり、踏ん切りがつきました(笑)。

スリーブのひじから上をカットして日中着用

SDL(シンプルリンパドレナージ)以外にはどんなケアをしましたか

看護師さんの指導を受け、弾性スリーブを病院のショップで購入しました。ただ、二の腕がきつくて耐えられなくて。僕の浮腫は二の腕で3センチ、ひじから先が5センチの左右差(円周)なので、ひじのところでスリーブをカットして、浮腫の強いひじから手首に、日中つけています。夜は何もしていませんが、日中着けないと途端にむくんでくるので、スリーブは必需品です。

突然ドカーンと襲ってきた蜂窩織炎に、リンパ浮腫は抵抗しても無駄だと分かり100%受け入れた

リンパ浮腫発症から2年後、70歳で蜂窩織炎を発症しました。突然、患肢の左腕が真っ赤に腫れあがり、40度近くの高熱と悪寒で、全身がガタガタ震え、頭痛もひどい。突然ドカーンと症状が襲ってきた、という感じです。
3日間寝込み、ようやくタクシーで病院に行ったら、「これが蜂窩織炎ですよ」と主治医に言われました。
蜂窩織炎という名前は聞いていましたが、こんな急激にくるものとは知らなかったので、本当に恐ろしかったです。
ただ蜂窩織炎も、一度なれば免疫ができると勝手に思っていて。リンパ浮腫の体験談を読み、発症を繰り返す人がザラにいると知ってからは、日常生活で傷を作らないよう、細心の注意を払っていますね。

蜂窩織炎を機に、「リンパ浮腫は抵抗しても無駄」ということが分かったので、覚悟を決め100パーセント受け入れました。面倒なSLDはたまにさぼると夕方に腫れてくるので、毎朝ベッドであおむけになり、両手を挙げ、医療者の情報をベースに、これまでの経験から自分流にアレンジした5種類のメニューを25分ほどかけてやっています。

リンパ浮腫歴は8年になりました。SLDとひじから先の弾性スリーブのおかげで悪化することも、蜂窩織炎の再発もなく過ごしてきたので、リンパ浮腫専門のクリニックには通っていません。
不都合は特にありませんが、しいて言えば、夏。半袖で知り合いに会うと、「どうしたんですか?」と必ず聞かれることです。いちいち説明するのも面倒なので、「ちょっと腫れてね」とごまかしています。これが右腕だったら「テニスエルボー」と言えるんですけれど(笑)。

男性更衣室や待合室のある乳腺科は稀

ピンク色が多い乳腺科で男性患者は肩身が狭い。
妻を同伴してカモフラージュ

男性乳がんの会「メンズBC」に参加されていますね

2018年に新聞記事で、NPO法人キャンサーネットジャパンが主宰する「メンズBC(Breast Cancer)」の記事を見つけて、すぐに参加しました。男性乳がんの会があるなど、想像もしていませんでした。
男性乳がんは情報が極端に少ないうえに、「乳がんは女性がなるもの」という一般認識があるため、非常に肩身の狭い思いをします。病名をオープンにできる人はほぼおらず、あるメンバーは「俺はニューがん(new、がん)だ」と言ってごまかしていると言っています(笑)。
孤立してしまいがちなこの心細さを分かち合える仲間と出会えたことが嬉しかったですね。

男性乳がん患者は肩身が狭くとても孤独 もっと理解を!

コロナ下で今はオンラインでしか集まれませんが、以前は飲み会もしていました。医師も交えての会合は、治療や副作用の情報交換。「乳腺科の待合室に一人だけ男性がいるのが非常に居心地悪い」といった、男性乳がんのあるある話で盛り上がります。
たとえば、名前を呼ばれて検査室に入ろうとしたときに「そこは女性専用ですよ」と女性患者さんから声をかけられたとか。私の場合は妻に同行してもらいカモフラージュしているので何とか切り抜けていますが(笑)。そんな会話がリラックスできるんです。

男性も乳がんになることを当たり前のように広く世間に知ってほしいです。男性乳がんは、厚労省のデータによると年間600人以上が罹患しています。男性乳がんと診断された方やそのご家族は、「メンズBC」を検索してほしい。仲間の輪が広がればいいなと思います。

メンズBCのバッジとパンフレット。HPは https://mens-bc.amebaownd.com/

次は男性のリンパ浮腫患者に会いたい

ただ、メンズBCのメンバーで、リンパ浮腫を発症している人は今のところ僕以外にいません。
そこで、ほかのリンパ浮腫の方はどうしているのか知りたくて、ネットを検索し、リンネットの「なかまカフェ」という患者のおしゃべり会の開催告知を見つけました。女性限定と書いてありましたがダメ元で問い合わせたところ、快く仲間に入れていただきました。それが今回の「なかまの声」で語るご縁につながりました。

実は昨年には、前立腺がんと診断され、前立腺全摘出とともに骨盤内のリンパ節も郭清しているので、将来的に下肢のリンパ浮腫の可能性も出てきました。

次は、リンパ浮腫の男性患者さんたちと会って話がしたいですね。上肢、下肢に関係なく、同性と経験を分かち合える場ができることを願っています。

31年間で5度のがんの診断。壮絶な経験を経て、今何を思いますか

45歳から31年、乳がんと共に生きてきました。何度も落ち込みながら、よくこれまで生き延びてきたと思います。ツラくても立ち止まらず、前を向いて走ろうという気持ちになれたのは、やはり家族の存在ですね。当時は子供も幼く、立ち止まっている場合ではない、という責任感が大きかったと思います。
あとは、学生時代にバレーボールで心身を鍛えた経験から、苦しくても「何とかなる」という自信があり、乳がんを軽く見ていた、という反省はあります。

いま僕は、乳がんで良かったと思っている

僕は乳がんで良かったと考えているんです。僕の場合の乳がんは、いきなりレッドカードで「即退場」はなかったですからね。相当無理な生活をしているなかで、二度三度と、その都度イエローカードを出して減速を促してくれたからこそ、生活をコントロールすることができたと、感謝しているくらいです。
今はすべてを受け入れ、体の声を聴き、イエローカードも出ない生活を工夫しています。

リタイアしてからは時間が完全にフリーになり、1日を自分の好きなように使える。その解放感に日々浸っています。
だから、人生で今が一番幸せなんです。

毎朝25分のシンプルリンパドレナージ(SLD)
日中はひじから手首まで弾性スリーブを着用
毎朝のウォーキングと週に1度の気功で運動

(聞き手・山崎多賀子)