なかまの声では、個人の考えや想いを尊重し、インタビューを元にそのまま掲載しています。
リンネットが特定の治療法や物品を推奨するものではありません。
ご自身の治療は、主治医や医療者とよく相談して決めるようにしてください。

仕事の意欲に燃えていた29歳で子宮頸がんが発覚。子宮全摘という現実に、描いていた将来像が消えたばかりか、リンパ浮腫を発症。職場復帰をするも、がんの再発や浮腫の悪化におびえ、仕事に打ち込めず苦しい数年間を過ごすことに。そこから一念発起し、社内起業し、自分が欲しかった、見た目にも美しい医療用弾性ストッキング「MAEÈ」を開発するまでのお話です。
(水田さんのお話は前編・後編でテーマを分けてお届けします)

水田悠子さん(株式会社encyclo 代表)
[下肢リンパ浮腫]
40歳。東京都在住。パートナーと同居。
2012年5月、29歳で子宮頸がんⅠb2期(腺がん)と診断。広汎子宮全摘手術と両附属器切除、リンパ節郭清、化学療法。化学療法中から左鼠径部に違和感があり、リンパ浮腫と診断。複合的治療に加え、3度のLVA(リンパ管細静脈吻合術)を受ける。
勤務していた株式会社ポーラに復職後、2020年に社内ベンチャー企業として(株)encyclo(エンサイクロ)を創業。

がんとリンパ浮腫のどん底から起業、この経験を「前へ!」生かしたい

子宮頸がんと診断された経緯を教えてください。

29歳の冬、何度か不正出血があり婦人科のクリニックを受診しました。その時は「膣びらん」との診断でしたが不正出血が続いたので、翌年5月の連休前に別の病院で検査しました。
連休中に大出血があり、救急外来で応急処置を受け悶々としながら検査結果を待ちました。
診断は子宮頸がんⅠb2期。腺がん。
20歳から子宮頸がん検診を受けていて、ずっと陰性だったんです。ただ大出血があったので、「がんになる前の異形成かな。最悪、高度異形成かもしれない」と、心構えはしていました。
ところが想像をはるかに超える悪い結果に、頭も気持ちも全くついていきませんでした。

20歳から検診を受けてきたのに、子宮も卵巣も、将来の家族像も消えるなんて…

打ちのめされたのは、子宮をすべて取るということでした。子宮頸がんは、Ⅰ期でも「全摘」になり、その前段階がないことに恐れおののき、茫然とするばかり。
20代はバリバリ仕事をして30代で家族を作って、というぼんやりした将来像が具体的になる前に、選択肢のすべてが消えてしまった。足元からガラガラ崩れ、奈落へ落ちていくような感覚でした。
それでもあきらめきれず、「世の中には子宮を残す治療法があるはずだ」と必死で調べたところ、都内の大学病院で子宮を残す「子宮頸部摘出術」を行っていると知り、セカンドオピニオンで受診しました。
残念ながら私は適応ではありませんでしたが、今できる限りを尽くして検討し、全摘しかないことにやっと納得ができ、そのまま大学病院に転院して5月31日に手術を受けました。

入院直前、ジャンクフードの食べ納め

ご両親やパートナーはどのように受け止めましたか

父は「一番の治療を受けさせる」と言ってくれ、絶対に泣くと思っていた母は、「そうなの。じゃあ治すしかないわね」と言ってご飯を作り始めました。両親の落ち着いた反応はありがたかったです。
当時お付き合いをしていたパートナーは診断後もずっと支えてくれ、心強かったですね。
彼からの忘れられない言葉があります。
私が、「子供も産めず、長生きできるかもわからない私の、このツラい状況にあなたまで巻き込んでしまった」と自虐的な言葉をぶつけたとき、「僕の幸せを君が勝手に決めないで。君といることが一番の幸せなんだから」と。
彼のご両親は「一病息災といって、1つ病気をしている人の方が健康のありがたさを分かって元気に豊かに生きていく。お前にはそれくらいの人がぴったりだ」と言ってくれたそうです。
それらの言葉に救われ、自分の思い込みで勝手に決めつけるのは失礼だと思えるようになりました。
彼とはその後、別の理由でお付き合いを解消しましたが、今も良い関係を続けています。

病気のことを伝えたときの職場の対応は?

がんと診断されてすぐに直属の上司に電話で伝え、翌日部長と面談しました。部長は「治療と仕事を両立するか休職するか、あなたが本当にどうしたいのか、遠慮せずに何でも教えて」と私の意向をじっくり聞いてくださいました。
当時、課長も部長も役員も、上司は全員女性。部長は、がんになった部下と働いた経験が多く、私で9人目だったそうです。

念願の化粧品会社に入社して以来、与えられた仕事を断るなんてもってのほか、全力でやる、というマインドで仕事をしてきました。地方勤務を経て本社の商品企画部で、5年に一度のブランド大リニューアルに向け、メイク製品のリーダーを任され、意欲に燃えていました。
それなのにがんと分かった瞬間、大好きだった仕事のことが何も考えられないんです。勇気をふるって「休職して治療に専念したい」と告げました。
上司たちは「帰りを待っているから、しっかり治療して絶対に戻ってきてね」と私の意向を受け入れてくれました。
私は自分の職場での経験しか知りませんでしたが、現実ではがんを理由に解雇されてしまうケースも多くあることを後に知り、恵まれた環境の職場にいることに気づかされました。

リンパ浮腫の前兆は抗がん剤中だったそうですね

手術を終えて6月から化学療法が始まり、最初に変だなと思ったのは夏ごろでした。左の鼠径部に水がたまったような違和感があって、上から見ると少し腫れているんです。
リンパ節を郭清するとリンパ浮腫になる可能性があると病院から指導があったので、今度こそ(がんのときのように)手遅れにならないよう注意深く観察していました。
すぐに院内のリンパ浮腫外来を受診したところ「心配ない」とのことでしたが、症状の改善や予防ができる施設はないかとネットで検索し、ブログでよく見かけていたリンパ浮腫専門の治療院を受診しました。

おしゃれに程遠い弾性ストッキングを「一生はき続ける」と言われ、ポロリ

その結果、ごく初期のリンパ浮腫の可能性があるという見立てで、リンパ浮腫の知識からケア法まで、みっちり3時間指導を受けました。
衝撃的だったのは、「朝起きて、ベッドから脚をおろす前に弾性ストッキングをはいて、夜、お風呂に入るまで脱がないこと。これを毎日、一生することになります」と言われたこと。
弾性ストッキングを味方につければ仕事もできるし普通の生活を送れるから大丈夫ですよ、と励ましてくれるのですが、一生…に怖気づいて涙がポロリ。見せられた、おしゃれとはほど遠いベージュの分厚い弾性ストッキングに衝撃を受け、またポロリ。
自分に合うサイズの製品を選んでもらい、洗い替えも含めて2足を数万円で注文し、治療院を後にしました。

職場復帰の前にLVA手術を受けたそうですね

ネットで情報収集するなかで、LVA手術(リンパ管静脈吻合術)があることを知り、すぐに受診したいと思いました。5か月後に復職を控えており、万全の状態で復帰したいと必死だったんです。
病院で紹介状はもらったものの、LVAで著名な医師は混んでいて予約を取るのも難しく、それでもなんとか受診にこぎつけることができました。

診察の結果、手術は適応。ただ同意書に「LVAはすべてを解決するものではなく、その後の管理が必要」と繰り返し書いてありました。つまり手術は完治を目指すものではなく、弾性ストッキングもはき続けるのだと、やっと理解しました。
これまでLVAは3回受けています。LVAのおかげかは定かではありませんが、その後、炎症やひどい悪化もなく、うまく浮腫と付き合えています。
現在浮腫の症状は、初期にあった鼠径部から移動して、太ももに出ています。

LVAの入院中、病院食にカキフライが出て歓喜!

復職後の仕事は順調でしたか

1年2か月ぶりに時短勤務で復職しました。毎朝、分厚いパンストタイプの弾性ストッキングをはき、弾性ストッキングと下着の間に治療院の手作りウレタンパッドを挟んで圧迫するのがルーティンになりました。
はじめは弾性ストッキングをはくのに20分くらいかかり遅刻したことも。長時間はくと足がしびれ、座ると膝裏に食い込んで痛くなるけど「脱いではいけない」と言われているし、どうしよう、とか。仕事と脚のケアの両立は本当に苦労しました。

復職時にはリンパ浮腫の本を使って上司に説明した

復職するも「脚のために生きている人」になってしまった

座りっぱなしはよくないと聞き、職場で1時間ごとにタイマーをかけてフロアを歩き回る日々。
「前のように仕事に打ち込めない。がんの再発と脚のことで不安がいっぱいだから、まわりには申し訳ないけれど、仕事は“そこそこ”にするしかない」と。

当時の私は、リンパ浮腫で検索すると必ず出てくる、大きく腫れあがった脚の写真を見て、悪化するとすぐにこの状態になる。来年は歩けなくなってしまうかもしれない、という間違った思い込みがあって。治療院で言われたことは必ず守らなければいけない。少しの気の緩みも許されないとストイックにとらえていて、まるで、脚のために生きているようでした。

治療院は、太ったり悪化させるとがっかりされてしまいそうで、徐々に足が遠のきがちに。
仕事や生活をしていくなかで、完璧なケアを続けることに限界が来ていました。その反動からか「私、多分治った」と開き直り、何週間も弾性ストッキングをはかずに過ごしては、足首がパンパンになり半泣きで駆け込むという、ムラのあるケアをしていました。

「悪化したらどうしよう」ではなく、「必ず良い方向へいく」と前向きにケアをとらえる

それでも2、3年経つうちに、1日弾性ストッキングをさぼっても翌日脚が2倍に腫れるわけではなく、悪化してもケアを頑張れば元に戻ることが分かってきて、昼の間だけはくとか、旅行中は楽しみを優先し、さぼってしまっても帰ってから頑張るとか、上手に手を抜きながらケアと付き合えるようになっていきました。
リンパドレナージ治療の第一人者の佐藤佳代子先生のセミナーで、「どのタイミングからケアを始めても、必ず良い変化を起こすことができる」という言葉を聞いたときは、肩の力が抜けました。
「悪化したらどうしよう」という恐怖からのケアではなく、ケアをすれば「必ず良い方向へいく」と前向きにとらえて行うことが大切だと思っています。

締めつけや左右差が気にならない服を選びおしゃれも楽しみます

罹患から5年、仕事とケアの両立にも慣れてきたころ職場で

仕事より脚が優先だった水田さんが社内起業をされた理由は?

きっかけは会社が打ち出した「パーソン・センタード・マネージメント」という方針でした。
組織人である前に“社会で生きる1人の人間”として、1人ひとり異なる経験や価値観を、仕事においても積極的に発揮しよう、という考えです。
その方針に触れ、マイナスと捉えていた病気のことや、ネガティブに過ごしていた時期も、自分だけの経験として仕事にも生かせるかもしれない、と思えたのです。

その後、2019年に社内ベンチャー制度の募集を知り、「がん経験者向けのビューティー事業」を展開する会社を創りたいと思いました。見落とされがちな、病気と向き合う人の「美しくありたい想い(アンメットビューティニーズ)」を叶える会社です。
同じころ、社内でがんの治療と就労の両立支援制度を立ち上げていた齋藤明子さんに声をかけ、タッグを組んで応募しました。
事業計画案は大苦戦でしたが、最後に分厚い弾性ストッキングと一般的なストッキングを手に、私はこっちを一生はかなくてはいけません、この違い分かりますか?と訴えかけ、承認を得ました。
こうして罹患から8年目に「株式会社 encyclo(エンサイクロ)」が誕生しました。

共同創業者の齋藤明子さんと創業のお祝い

医療用弾性ストッキング「MAEÈ」を開発された経緯は

encycloでまず何から手を付けるか考えた時に、リンパ浮腫で私が一番苦労した医療用弾性ストッキングがすぐ頭に浮かびました。
私はマーケターとして商品開発の仕事をしていたので、良い商品が市場競争によって次々に生まれていくのが当たり前で、「選択肢がない」という状態をこれまで考えたことがありません。
ところが様々なメーカーの弾性ストッキングの特徴をリスト化し、何十足も買ってトライしたものの、自分が欲しいものが見つからず、愕然としていました。
かつての苦しい経験から、「長く付き合うからこそ、ストイックにも自暴自棄にもならず続けられ、人生を楽しめるケアや製品が必要」という想いが強くありました。

私の「マーケター×リンパ浮腫」という個性に、可能性がある。キャリアを生かして、「商品開発でリンパ浮腫の現状を前進させられる」のではないかと思ったんですね。
私自身、もっと大きな力を発揮できるかもしれない。「前へ進もう」と決めました。

必要だけど「世の中にない新しいもの」を作りだす手応え

医療用弾性ストッキングの開発のために数十人ものリンパ浮腫の方にヒアリングし、試作品を試してもらい、技術者と意見を交わし工夫に工夫を重ねました。
ようやく透け感があって、美しい色の医療用弾性ストッキングが完成したときは、「本当にできた!」と心の底から嬉しくて。
未知の領域の商品開発でしたが、世の中になかった新しいものを作り出せたことは、大きな手応えになりました。
経験を生かし「前へ進む」って素敵だなという想いから、ブランド名を「MAEÈ」と名付けました。

歩みはゆっくりでもこれからも、「美しくありたい」想いを大切にする商品を、ビューティーの会社ならではの視点で開発していきます。

MAEÈのメインビジュアル。私たちのためのブランドというメッセージを伝えるため、
リンパ浮腫の友人にモデルを務めてもらった

初めての試作品

MAEÈのストッキングでおよばれスタイルも

今の水田さんにとって、仕事はどんな存在ですか

2013年に復職してからの数年間は、「定年まで30年もあるけど、やりがいなんて求めず、ただ会社に居続ければいいんだ」とふてくされていました(笑)。恵まれた職場環境のはずなのに、自分の力を使いきれていないもやもや感を抱えていて。

仕事は収入を得るという側面だけではなく、自分のパワーをどう使うか生き方を表現したり、社会との接点となったり、人生に大きな意味を与えてくれるものだと思います。
そんな風に仕事と向き合えるようになったことに感謝しながら、これからも自分らしく働き続けようと思います。

私自身、リンパ浮腫があっても、プライベートでも前へ進みたいと思うようになり、あきらめかけていたことに、どんどんチャレンジしている真っただ中なんです。
※後半は、水田さんがチャレンジした「スペイン巡礼路115キロの旅」のお話を伺います。

職場や自宅やいたるところに保湿クリームを置き、こまめに保湿。
日中は弾性ストッキングを着用。
週に一度パーソナルトレーニングに通い、普段から歩数や運動量を意識する。
定期的にリンパ浮腫外来、リンパ浮腫治療院に通う

保湿グッズをリビングや洗面台に置いてこまめに保湿

水田さんの開発した「MAEÈ」のサイトはこちら
https://maee.jp/

後編へ続く▶︎▶︎▶︎

(聞き手・山崎多賀子)