なかまの声では、個人の考えや想いを尊重し、インタビューを元にそのまま掲載しています。
リンネットが特定の治療法や物品を推奨するものではありません。
ご自身の治療は、主治医や医療者とよく相談して決めるようにしてください。

大きな手術からリンパ浮腫の診断まで、大変な日々を乗り越えてきた Kaoriさんのストーリー。苦労した経験を仲間に伝えたいという熱い思いを胸に、リンネットのサポートスタッフとして活動もしています。

Kaoriさん(主婦)
[下肢リンパ浮腫]
神奈川県在住。夫、娘の3人家族。
2015年、45歳のときに子宮体がん、卵巣がんが判明。子宮・両卵巣の摘出手術時に骨盤リンパ節、傍大動脈リンパ節を郭清。
2018年11月リンパ浮腫の確定診断がつく。
2019年から4回のLVA(リンパ管静脈吻合)手術を受ける。

浮腫による不自由さは、頭を切り替えてケセラセラ。自分のペースで、機嫌よく暮らしています。

無症状の卵巣がんが見つかったきっかけは片頭痛でした

子宮体がんと卵巣がんは、どういう経緯で見つかったのですか

ひどい片頭痛で、脳神経科を受診したことがきっかけです。脳によるホルモン分泌異常の可能性があることから、内分泌科と婦人科の受診を勧められました。婦人科の受診時に、念のため子宮がんの検査を受けたところ、「おそらく子宮体がん」と診断されました。2か月前に不正出血があったのですが、頭痛のほうが深刻で気に留めていなかったんです。
ショックでしたが、「がんは手術と抗がん剤で治る」と思っていたので、深くは落ち込みませんでした。紹介された大学病院で子宮体がんの確定診断がおりた際に、右の卵巣がはれているので一緒に摘出しましょうと言われていましたが、開腹してみたらはれは爆発寸前。急遽、子宮と両卵巣の全摘出、大網膜切除、骨盤と傍大動脈のリンパ節65個、すべて取りました。
病理の結果、ステージⅠの子宮体がん、ステージⅡの卵巣がん。片頭痛から無症状の卵巣がんまでたどりつけたのは、幸運だったと思っています。

不幸中の幸いとはいえ大手術になりましたね。その後は順調でしたか?

がんの手術直後、リンパ液が袋状に溜まる「リンパ嚢胞(のうほう)」という合併症が左鼠径部に現れ、退院の直前には強い腹痛と吐き気に襲われ、腸閉塞の疑いと診断されました。結局2週間入院が伸び、退院してすぐに抗がん剤が始まりました。脱毛するというので夫に坊主頭にカットしてもらったんですよ。
根が楽観的なのでしょうか、目まぐるしい日々でしたが、病院や自宅に親しい友人たちが毎日のようにお見舞いに来てくれて、楽しかった記憶しかありません。抗がん剤が終わり、頑張った自分へのご褒美に家族とハワイにも行きました。

画像診断で判明した「むくみがない」リンパ浮腫

脚の違和感はいつごろから感じ始めましたか?

リンパ嚢胞の膿を抜くドレナージ手術を受けてからです。徐々に両脚が重苦しくなり、しびれとともにキリキリと痛み出したんです。脚だけが痛むのはなぜだろう。もしかしてリンパ浮腫?と思い主治医に相談しましたが、当時は「がんの術側の四肢に、痛みのないむくみが生じる」症状がリンパ浮腫の診断基準だったようで、リンパ浮腫の所見は見当たらない、との見解でした。確かに私の脚はむくみも、太さの左右差もありませんでした。そこで神経内科に相談すると「抗がん剤の副作用で、おそらく治りません」と診断されました。
私は「物事、成るようになる」と考えるタイプですが、腹痛や発熱、嘔吐もまだある上に、ホットフラッシュも出て、脚の痛みで歩行困難になりかけていたので、さすがにこの時はめげました。

リンパ浮腫と確定診断がついた経緯を教えてください

がん患者の知人が、院内のリンパ浮腫の専門医を受診すると聞き、「本当にリンパ浮腫は痛みがないのか?」と、私の症状を医師に伝えてもらったんです。すると、可能性があるとお返事をいただき、すぐに受診を決めました。初診まで3か月待ちでしたが、とにかく痛みの原因を知りたいので、やれる検査はすべてやってほしいと医師にお願いしました。
ちょうど、「リンパシンチ検査」という画像診断が保険適応になったばかりで、3割負担で受けられたのは助かりましたね。診断の結果、「リンパ浮腫」と確定診断がおりました。

リンパ浮腫の確定診断がでた時、どんな気持ちでしたか?

正直、病名が付いて心の底からほっとしました。同じ一生治らない後遺症でも、抗がん剤によるものなのか、他の理由か、どっちつかずが私には一番ツラいことでした。
見た目に左右差はなくても、画像診断では、左脚のリンパ管が圧倒的にダメージを受けていて、すでにリンパ液が溜まっている状態が映しだされていました。
さらに、LVA(外科療法・リンパ管静脈吻合術)が適応との所見でしたので、迷わず手術による治療を選択しました。

LVAで痛みから解放されて、生活が大きく改善

実際にLVAを受けられて変化はありましたか?

2019年4月に1回目のLVAを受けたところ、なんと両脚の痛みが嘘のように消えたんです! 私にとって、痛みから解放されることが最大のQOL(生活の質)向上です。
ただ、リンパの流れがよくなるとむくみが出てきて、いま左脚の太さは右の、1.5倍くらいあります。おなかの周りのリンパ節をすべて取っているので、段階を踏んでLVAを4回受けました。医師の勧めで別の病院のリハビリテーション科で弾性包帯の巻き方の指導を受け、術後から包帯で脚の圧迫を開始しました。

その後の状態や普段の生活で気を付けていることはありますか?

LVAで痛みから解放され、生活はだいぶ改善しましたが、浮腫は一進一退です。しばらく実家の病院の事務の仕事をしていましたが、長時間座っていることができないので、仕事中は1時間おきに立ったり座ったり、ベッドで脚を上げ横になったり。周りの理解がなければ、仕事を続けるのは難しいと感じています。
家事も休み休み。今、父の介護を母としていますが、しゃがむ動作や重たいものは持てないので、元気な母が担当してくれます。長時間の運転はできなくなりました。他には……、でも不都合を感じることは特にないですね。
自分ではどうにもならない現実は、頭を切り替えて受け入れているので、機嫌よく暮らしています。

リンパの循環には筋力が不可欠なので、弾性包帯や弾性ストッキングで圧迫をしながら、愛犬を連れて近所の公園をウォーキングするのが日課になりました。愛犬2匹と過ごす時間は最高の癒し。
今やりたいことは、水中ウォーキング。浮腫にいいらしいので、世の中が落ち着いたらスポーツクラブにも通いたいな。

生活で何か変わったことはありますか?

変わったことの1つはファッションです。以前、ワンピースに弾性包帯を巻いて外出したところ、周りから「どうしたんですか?」「骨折したんですか?」と聞かれて一から説明するのが大変で。
聞いた相手も気まずそうなので、人生初のロングスカートやゆったりしたパンツで脚を見せないようにしています。新たなおしゃれが発見できて楽しいですよ。

ただ浮腫になってからお金や時間はかかります。洋服や靴の買い替えに大出費。
圧迫する医療用の弾性着衣は、3割負担でも全般的に高いです。長い弾性包帯を脚に巻くのに早くて10分、洗って、干して、巻き取る。とにかく日常の細々としたルーティーンにとても時間を取られますが、慣れるしかないです。

リンパ浮腫と付き合いながらの生活はどんな感覚ですか?

普通、手や脚が「付いている」という感覚ってないと思います。でも、私の左脚はいつも、「付いている」感じ。忘れたいけれど常に薄―く浮腫のことを考えていて、重苦しさで、嫌になることはたびたびです。
ただ、術後から続いた腹痛も治まり、更年期の不調もホルモン補充療法ですごく元気になりました。浮腫による不自由さはたくさんありますが、自分のペースで普通に生活ができています。
大好きな旅行も、私が無理なく行ける場所を家族や友人が計画してくれます。ただ飛行機は6時間が限度かな。私の夢は、6時間フライトの壁を超えること(笑)。

確定診断までの空白の3年間を振り返り思うこと

浮腫の治療にたどりついて今何を思いますか?

がんになって、命があるだけでありがたいと思う一方で、リンパ浮腫の診断がつかなかった空白の3年間を思うと、もう少し早く治療にたどりつけていたらという気持ちはぬぐえません。「成るようになる」と副作用を甘く見ていたのは失敗です。
リンパ浮腫の患者会(リンネット)に参加して得た知識は、もっと早く知っていたらな、と思うことばかり。患者同士のおしゃべり会で、最新の情報やリンパ浮腫の治療にたどり着けない方が圧倒的に多い現状を知り、知識を得る大切さを痛感しています。
特に「リンパ節郭清の時点でリンパ浮腫0期」という認識は、がんに関わるすべての人に知ってほしい。痛みから始まるリンパ浮腫があることを知ってほしい。違和感に「もしかしてリンパ浮腫?」と結びつけ、重症化する前に専門医を受診してほい。
やっと自分のペースがつかめた今、ますます楽しいことを見つけてご機嫌に暮らし、リンパ浮腫の啓発も続けていきたいですね。

毎日浮腫の症状に合わせて「弾性ストッキング」「弾性包帯」「エアボー(補助用ストッキング)」で圧迫。病院処方のヒルロイドクリームで左脚全体を保湿。
毎日散歩など軽い運動を心掛け、浮腫がひどいときは塩分を控える。
気圧の変化でむくみが悪化するため、天気予報のチェックは忘れません。

(聞き手・山崎多賀子)